【雑記】なんで俺は創作なんかやってるんだ?

  ミカグラです。

 表題の通り、なんで創作をしているんだろうな、という話をします。

 

 

 最近、とりつかれたように創作をしています。 僕がやっているのは広い意味では「字書き」と呼べるのかな*1。こうしてブログに評論やエッセイを載せる、といった創作です。

 それで、最近は、この創作活動が生活を破壊しているように思えます。創作に時間を食われていて、いわゆる「人生の進捗」というものに手がついてない、とか、創作をしている瞬間が楽しい代わりに、それ以外の時間は虚無に陥っている、とか。

 

 

 では、どうしてそこまでして創作をしているのか。それを考えたとき、一つの理由として、「創作しなきゃいけない」みたいな強迫観念に襲われているのではないか、という理由が思いつきました。

 ここでの強迫観念というのは、「まわりがやってるから自分もやらないといけない、周りに後れを取ってはいけない」、という気持ちです。思い返せば、自分は「受験戦争」という、他者に置いて行かれると負けというゲームに7年くらい身を投じていました。だから、周りが頑張っているのに自分は、という焦燥感が常に付きまとっているのかもしれません。こういった外的な要因が、なかなか手を止められない一因になっていると思います。読者の中で創作をしている方も、こうした「置いて行かれたくない」という心理が働いている人がいるのではないか、と思います。

 

 

 でも、創作をする理由って、それだけじゃないんですよね。

 まず、根源的に、創作って思考の表現だな、さらに言葉を選ばずに言うと欲望の表現だな、って思うんですよ。作品を作ることは、自分が思ったこと、感じたこと、考えていることを吐き出すという行為そのものです。僕は文章という形でそれを吐き出していますが、これは媒体を問わないでしょう。絵画、動画、音楽、などなど、それぞれの形で、自分がいいと思ったものを表現する。こうしたプロセスの中で生まれる、自分の中から何かが「流れ出る」感覚は、えもいわれぬ悦びを感じさせます。

 また、創作をしてると「自分は何かを生み出している、えらい!」と自分で自分を褒められるんですよね。自分が「何かしている」ということは、その生み出した成果にかかわらず、とても価値のあることのように感じられます。人間やっぱり褒められたほうが嬉しくて、創作は自分で自分をほめるための手段にできてしまいます。これもまた、創作に悦びを感じられる理由の一つです。

 

 

 創作の成果物という観点でも理由を述べることができます。

 なにか創作物を公開すると、それが他者に評価されることになります。まずこれがこの上なくうれしい。快感になるんだよ。自分の作品を世に出して、ツイートに流して、他人にいいね・RTという形で評価が来る瞬間は、最高にハイになれます。ブログのPV数とか見て、キリ番が見えると最高に気分がよくなります。自分は「音楽ゲーム」という趣味で、「数字で実力をはっきり示される」という仕組みに脳を灼き尽くされているので、自分の創作が数字で評価される、というのは本当にうれしい。

 さらにいえば、創作という形で自分の思想を見える形として吐き出しているときに、あ、確かに世界の中に生きてるんだなという感覚が生まれますね。何か自分が創作することによって、自分から離れて作品が形として存在して、自分が死んだ後も残り続ける。世界に自分の生きた足跡が残る。それってよくないですか?

 

 

 これだけ書けば創作っていいことづくめなんだけど、やっぱりこううまくはいかないもんですね。

 まず、創作はめちゃくちゃ時間を食います。文章を書く僕であれば、アイデアを練る時間が必要です。また、そこまでタイピングが速いほうではないし、タッチタイピング*2もできないので、タイピングにも時間を食います。わかりやすく読み手に伝わるように、と文章を矯正するのには、もっと時間を食います。しかし、1日24時間は人間に平等に与えられていますから、創作にかける時間が増えれば当然それ以外の時間は削れます。睡眠時間とか、「人生の進捗」を生む時間が犠牲になります。そうするといわゆる「人間的な生活」に少しずつ支障が出るんですよね。

 それだけじゃなくて、創作の悦びを知ってしまうと、「創作をしていないとき」に気分が落ち込んでいきます。これは、もちろんTwitterにたくさんいる、創作をしている他者との比較のせいでもあります。しかし一番大きな要因は、「創作をしているときの自分」との比較です。人には、体調がよくないときとか、眠たくて思考が回らなかったりとかいった、「何もしていないとき」が存在します。そうした時に、アクティブな他人や自分と比較して、自分を責めてしまうのです。これが本当によくない。

 私は字書きなので、こうしたアウトプットができないときは、インプットと銘打って気の向くままに本を読むことで自責の念をうやむやにしています。ほかの創作をしている人って何してるんでしょうか、私気になります。

 

 

 ここまで、創作のエネルギーについて話をしました。

 創作のエネルギー源の一つとしてすぐに思い浮かぶのは、他者に追いつかなければ、という「強迫観念」です。しかし、そうした外発的な要因は、いわばブーストみたいなものでしかないのかなあと感じます。最も根源的な動力は、自分の欲望を、エネルギーを作品という形に産み落とす、という行動そのものへの悦びなのかな、と考えました。だから何かを作っている瞬間は最高に楽しいし、そしてそれを形にして公開した瞬間は最高の気分になれます。しかし、いやだからこそ、逆に創作をしていないときには自己肯定感が低くなってしまう。

 創作活動という一種の「麻薬」について、その効力と副作用にうまく向き合っていきたいですね。

 

 

 読んでいただきありがとうございました。

 

 

*1:そういうことにさせてくれ。

*2:古くはブラインドタッチと呼ばれていたものです。