【雑記】マーダーミステリーが楽しめない悲しい男のお話

 こんにちは。ミカグラです。

 

 さっきそこそこ骨のある文章を書いたので、今回はグダグダとしたお気持ち表明を書きます。お気持ち表明なので特に主張がある文ではないです。暇な人は読んでください。

 表題の通り、今巷で話題のマーダーミステリーが全く楽しくないという話です。

 

 

 

マーダーミステリーってなに

 面倒なのでWikipediaから引用します。

ゲーム開始以前に起きた架空の殺人事件に対し、パーティーのゲストの1人が秘密裏に犯人の役割を受け持ち、他のゲストは誰が犯人であるかを推理する形式のゲーム 

 基本的にはテーブルトークRPG(以下TRPG)の変種ととらえていただいて構いません。プレイヤーは与えられたキャラクターになりきって、様々な情報を集めて犯人を推理するゲームです。犯人役のキャラクターを演じるプレイヤーは、自分が犯人であることを隠匿するようにふるまいます。またほかのプレイヤーにも「隠れた勝利条件」が与えられており、こうした思惑が交錯する中で真実を暴いていく、というゲームになっています。

 現在マーダーミステリーには多数のシナリオ(物語のことです)が用意され、さらに有志によりオンラインでのプレイ環境が整えられており、自宅にいながら楽しめるコンテンツということで、人気を集めています。

 で、自分も一回これをやったのですが、なんというか、自分はマーダーミステリーを楽しめないんだなあ、という気持ちになったというのが、今回書く内容です。

 

謎解きプレイヤーとしての自分

 前に謎解きの厄介オタクみたいなブログを書いたのですが、そこでも述べたように様々な謎解き公演に行ってきました。自分でいうのも恥ずかしいですが、どうやらかなりの適正はあるようで、いままでの記録を見ると、謎解き公演ではだいたい9割弱の成功率を収めてきたらしいです。10回公演に行けば9回は脱出成功できるということです。相当な優良物件なのでみなさんピンチヒッターとして誘ってくださいね。

 で、僕、基本的に謎解き公演の成功・失敗はかなり気にするタイプなんですよ。だから「失敗してしまったけど、いい体験ができた~」と思うことがほかの謎解きプレイヤーに比べるとあまりない。失敗してしまったなあ、という残念な気持ちのほうがたいてい上回る。

 謎解きに限らず、たいていの勝負事だとできるだけトップを取りたい、勝利をしたい性分なので、当然推理モノのゲームも「真実を見つける」ことを第一目標としたいんですね。

 

TRPGプレイヤーとしての自分

 先ほど「勝負ごとにこだわるタイプ」と書いたのですが、この縛りから逃れられる数少ないコンテンツがTRPGです。

 TRPGではよく、「キャラクターになりきる」とか、「キャラクターを演じる」という説明がなされます。でも僕のTRPGの遊び方は少し違って、「自分がキャラクターになって行動をする」のではなくて、「そのときキャラクターはどうしたいかを考えて動かす」という行動の仕方をします。端的に言えば、プレイヤーである自分とキャラクターは別物として扱う、ということです。

 もちろんキャラ自身に「自我」がない以上は、プレイヤーである自分の考え方もある程度は反映されます。しかし、僕がTRPGでよく行うのは、「自分の勝利条件を満たすため、敵に勝つためにどうするか」ではなく、「その状況でキャラクターが一番したいだろう行動はなにか」を考えて行動する、ということです。結果として勝利条件が満たせなくなっても、それがキャラクターにとって納得のいく結果であったり、あるいは別の形でキャラクターが幸せになれば、それでいいのかな、と思ってしまう人間です*1

 僕にとってのTRPGは、キャラクターを彼の、彼女の意思に従って動かして、彼なりの、彼女なりの「幸せ」を見つけるお手伝いをする場です。

 

マーダーミステリーで起こる「自分対自分」の衝突

 本題に入りましょう。勘のいい方ならお気づきかと思うのですが、とにかく勝利を目指すプレイヤーと、勝利条件そっちのけでキャラクターの幸せを考えるプレイヤーは、真っ向から対立します。すみわけができているうちはよいのですが、残念ながらその2人が衝突してしまう場所が存在します。それが「マーダーミステリー」です。

 マーダーミステリーには必ず「推理要素」が存在します(それをウリにしているコンテンツだから当然です)。だから、真犯人を見つけることは、「キャラクターが望むかどうかは置いといて」プレイヤーの勝利条件の一つになります。当然、推理ゲームプレイヤーである私は、これを目指して行動したい、ということになります。

 ところが、キャラクターにとっては、必ずしも真実を暴くことがよいこととは構いません。勝利条件のために暴かれたくない真実もあるし、キャラクターにとっては殺人犯の犯人よりも知りたいことだってあります。だから、TRPGプレイヤーである私は、彼らが本当にしたいことを考え、そのための行動をしたいと考えます。

 もうお分かりかと思いますが、この2人は明らかに衝突します。真実を暴くためには、当然怪しい人や怪しい場所の情報を手に入れる行動をするのが最適解なのですが、キャラクターがそれを望むかどうかはわかりません。かといって、キャラクターにしたい行動をさせると、必ずしもそれは真実に近づく行動とは限りませんし、ともすれば自分が怪しまれて推理を混乱させることにさえなりかねません。両方を満たすには行動できる回数が少ない、というジレンマを抱えています。

 この状況下で、「勝ちを目指したいプレイヤー」と、「キャラクターの幸福を目指したいプレイヤー」の2人をどちらも満足させることは原理的に不可能なんです。あちらを立てればこちらが立たず、心の底から「楽しかった!」と思える体験が不可能ですから、当然、コンテンツに対する姿勢も後ろ向きになります。周りがマーダーミステリーを楽しい、楽しいと遊んでいる中で、自分だけが一人「楽しみを享受できない異端者」として孤立してしまうのが悲しくなります。

 

 今回の文章は「自分がなぜマダミスを楽しめないか」の考察でした。先頭にも書いた通り、特に結論とか主張とかそういったものがあるわけではないので、ここでおしまいということにしましょう。

 ありがとうございます。

*1:パラノイアだけは勝利を目指すための行動をします。善良な市民であれば勝利のために自らの全力を尽くすのは当然のことです。