「フェルミ推定」について……
お話しします
みんな……
「フェルミ推定」って……
知ってるかな?
ということでみなさんこんにちは、ミカグラです。
最近、塾の講師をしていて、菅啓次郎さんのエッセイ『本は読めないものだから心配するな』に出会いました。その中には、このような趣旨のテクストが書かれていたことを覚えています。
「どれだけたくさんの本を読み、たくさんの知識をつけたとしても、それは世界全体の氷山の一角でしかない」
これには大いに賛同するばかりです。しかしながら、一方でこのような疑問が浮かびました。
「世界中の本を読んで、ありとあらゆる知識をつけるには、おおよそどれくらいの時間がかかるのだろう?」
ということで、実際に推定してみました。
「フェルミ推定(フェルミすいてい、英: Fermi estimate)とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算することを指す。オーダーエスティメーションや封筒裏の計算(英語版)ともいわれる。」(日本語版Wikipediaより)
今回は、難しい数学は用いず、あくまで簡単に、ざっとどれくらいの時間がかかるのかを考えてみます。
東京都は千代田区にある国立国会図書館には、日本で刊行されたほぼすべての本が所蔵されています。平成30年度の年報によれば、その数は日本語文献だけでざっと850万冊程度。これは一般図書のみの数であり、これに逐次刊行物、すなわち新聞や雑誌などを加えると、なんと2100万冊にものぼります。なにも学問だけが知識ではなく、日本中のあまねく知識を手に入れるなら、本だけじゃなくて新聞、雑誌も読むべきであるはずです。当然ですよね?
で、今回は国立国会図書館にすべての本が集まっている、日本の知が集積されていると仮定しましょう。
では、人はどれくらいの時間で本を読めるのでしょうか?
全国津々浦々の書籍の平均として、文庫本300ページを仮定してみましょう。さて、僕の場合は(よっぽど本の内容が重くなければ)見開き1ページ(つまり2ページ分)でだいたい3分くらいで読むことができます。集中すれば2分くらいで読めちゃう気もするのですが、今回はゆとりを持って3分取っておきましょう。なんたって全国の書籍を全部読まなきゃいけないんですからね。
見開き1ページごとに3分なら、1ページではおよそ1分半の計算ですね。これで300ページの本を休みなく読むとすると、
90 s/page × 300 page = 27000 s = 450 min. = 7.5 h
ということで、だいたい1冊の本につき7.5時間を要するということがわかりました。もちろん、週刊誌程度であればこんなに時間をかけることはないですし、逆に古典の哲学書のような場合であれば、とても7.5時間では読み切れません。今回は平均値としてこの値を取っておきます。
では、このペースで国立国会図書館の本を読んでいきましょう。2100万冊を1冊7.5時間のペースで読んでいくとすると、
2.1 × 10^7 ÷ 7.5 /h = 2.8 × 10^6 h = 320 year
ということで、おおよそ280万時間、320年がかかるということになりますね。ひえ~っ
本当にこれでよかったのでしょうか。
この数値、一睡もせずにただひたすら本を読む場合の時間です。皆さん、本を読むことがいかに体力を使うかわかるでしょう?これを320年も続けたら死んじゃうと思いませんか?まあ320年たったらなにもしなくても人間は死ぬんだけども
快適な読書生活のためには、睡眠時間が不可欠です。人間の健康的な睡眠時間は8時間と言われていますから、その分も計上しなければいけません。まあ320年たったら人間は死ぬんだけども
8時間の睡眠時間は、1日24時間の1/3にあたります。つまり残りの活動時間が2/3。ということは、逆に活動時間を2/3で割ってやれば、睡眠時間も含めた国立国会図書館全所蔵図書の読破にかかる時間がわかることになります。
320 year ÷ 2/3 = 480 year
ということで480年かかることになりますね。480年、とてつもない時間だ……
しかしまだ終わらない。
今計算した値は、日本中のすべての本を読むまでにかかる時間です。
当然、世界には日本以外の国がありますよね?
「先進国首脳会議」として、G8(現在はG7となっていますが)という会合が毎年持ち回りで開かれているのは有名な話。さらに、G8の所属国以外でも、ヨーロッパを中心に、学問の発達している国は多くあります。また、経済発展著しく、哲学も豊富な中国、インドの存在も見逃せません。その他の地域にも、先進国の資料にはない独自の知識が眠っているかもしれません。
こうした知識を全部無視してよいのでしょうか?
日本の国立国会図書館のような、国中の本を所蔵する図書館が、先進国を中心に点在しており、全世界で国立国会図書館20か所分、およそ4億2000万冊の本があるとしましょう。日本に世界全体の本の1/20が集積していると考えるのは、あながち悪い近似ではないのでは?と思います。
この条件をもとに計算してみると、
480 year × 20 = 9600 year
9600年!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?
これはもう、途方もない時間です。人間が不老不死の力を手に入れたとしても、気が遠くなるような時間。
逆に言えば、人間はそれだけの知を集積してきた、とも言えますね。
ということで、「すべての知識を本で得るためにはどれだけ時間がかかるのか」という考察はおしまいです。実際には、「知識」というのは文字からの情報に限りませんから、もっともっと学ぶべきことは地球に多く転がっていて、もっと多くの時間がかかるのでしょうが。
もしよりよい近似の方法を知ってる方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひ教えていただけるとありがたいです。また、これをもとに、より高度な数学を用いた発展的な考察をしていただけるのであれば(できれば記事の引用もいただけると)大変うれしいです。
いやーそれにしても9600年は長いね。今から9600年前といったら、旧石器時代がやっと終わるころ。当時の人々の壁画とかが残っていて……
あれ?
9600年前、本、なくね?
ヨーロッパでグーテンデルクが活版印刷を開発したのは1445年のこと。学問の中心であったヨーロッパでの活版印刷が発明されて以降、本の出版部数は格段に増えていきました。今出版されているほぼすべての本はこれ以降、つまり、およそ600年の間に出そろったものと考えていいでしょう。
我々は大事なことを見落としていました。
本は、増える。
600年でおおよそ4.2億冊の本が増えるのであれば、9600年もあれば
4.2 × 10^8 × 9600/600 = 6.72 × 10^9
67億冊もの本が世に出回ることになります。つまり、本を読むペースより、本が生まれていく、知識が創出されていくペースのほうが、圧倒的に早い。
今ではこの言葉の意味が、より深く分かった気がします。
『本は読めないものだから心配するな。』